2010-12-01から1ヶ月間の記事一覧

この家でグリの誕生

グリの実家、フィンリーさん家族ヴァンクーバーに住むフィンリーファミリーとは1991年6月に小笠原の父島で会った。彼らは家族5人ヨットで南太平洋を廻り、父島に来た。私たちが日本近海を廻っている間、東京湾のヨットハーバーの私たちの場所を提供した…

闘病生活・・・ヨットの食事

私たちは海もヨットも好きなので、毎日単調に海ばかり見ていても飽きないのですが、その中で食事はやはり最大のイベントです。海が静かなときは、天ぷらも出来るし、ガスコンロはジンバル(船が傾いても常に水平を保つ)なので、動いていても深めのお鍋で煮…

1992年7月4日(アラスカ時間7月3日) アッツ島

午前4時12分白と黒のパンダ柄のイルカ100匹以上 「アッツ島はこちらですよ・・・」と先導するように現れる 気温5℃、小雨、視界はよし VHF(船舶用近距離無線)16チャンネルでアッツ・コーストガードを呼ぶ 応答なし 針路を「殺人岬」に向ける、ロ…

1992年7月3日 アッツ島まであと一日

昨日午後6時、1867年締結のロシア、アメリカ海上国境通過 海上を流れるジャイアントケロップが多くなる ヌメリのある黒い大蛇のようで、不気味な姿に初見時は驚く 見慣れた外洋性の鳥に、カモメやコアホウドリも交じり陸地の近さを感じる 妻は英語の辞…

アッツ島玉砕のこと

写真上 日本軍の陣地あと 私たちがアッツ島についた50年まえ 1942年(昭和17年)5月日本軍がアッツ島を占領した ミッドウエイ作戦の陽動上陸作戦だった 翌年5月29日、山崎保代陸軍大佐指揮のアッツ守備隊は玉砕した 太平洋戦争最初の玉砕であつ…

北太平洋で、何かを感じる

気温8℃、暖房用ストーブ点火 遠く船種不明のマスト灯 船に寄ってくるミズナギドリ 八宝菜、大根の煮物の夕食 衣類を雨のように濡らす冷たく重い濃霧 牛丼の昼食・・寒いので肉は長持ち もっと買って置けばよかったと妻 残り740海里、2枚目の海図に替え…

1992年6月24日 陽の光     (写真は内海さん)

快晴、4日ぶりに太陽をみる 船内より 外が暖かい 釣った鱒を焼き、ご飯を炊き暖かい朝食 昼食は釧路のSさんから頂いたビーフシチューとマリネ 夕食は「内海さん一家」みたいに痲婆豆腐 荒れた海から開放され素晴らしい三食 「ヨット世界旅―清水の内海ファ…

1992年6月22日 嵐

昼過ぎから風強まる 縮帆(3ポイント)、NE15mの風、波高4メートル 夜になり気温10℃、NE24mの風、ヒーブーツー(漂流状態に) 針路、風向、波高を勘案し消極的だが、これが安全である暗黒の海に、怪しく光る無数の波頭、北の夜光虫・・・ 江戸…

1992年6月21日 釣果

風弱く、さざなみの頭に夜光虫か、海中が生き物のように光る、うねる 流していた針に、烏賊と鱒がかかる 今夜は烏賊でバター焼き、刺身、腸焼き・・・ 気温12℃、アッツ島まで1182海里

1992年6月20日 釧路港から出国

午前中に、出国審査、税関、入管、海上保安庁、各職員来船し現地でお世話にたった人たちに見送られ、12時30分離岸 巡視船「宗谷」のブリッジに「UW」旗が揚がり「航海のの安全を」というメッセージだ、汽笛で送られた。・・・子犬たち、さよなら。海上…

野良犬の親子

あまりの子犬のかわいさに 「連れて行きたい・・」と言うそれは無理だ 見ていると 港で働いている人たちから えさを貰っているみたい6月20日の出発の日までの切ない日々だった

日本、最後の寄港地、釧路に到着 1992年6月16日

釧路川に掛かる幣舞橋近くに係留する

濃霧の中から・・・ 1992年6月15日

襟裳岬沖南東46海里、霧の中から漁船現る 「寶輝丸」鮭の刺し網漁の道具を満載「どこ行くんだ!」「釧路です!」 「こっちだぞー!」と北東を指差す 「これ、持ってケ!」と鮭児2本投げてくれた 「母ちゃんに一本、あんたに一本・・・」 「有難うございま…

小笠原海溝 1992年6月11日

写真上 霜婦岩 写真上 角度を変えて 「霜婦岩」誰が命名したのか?・・・寂し過ぎる名前 鳥島と小笠原列島の間にポツンと立っている高さ100メートルの岩だ トローリングにバラクーダ級の「さわら」ヒット ズケにして「島寿司」 軽く炙って「さわら茶漬」…

パコのこと

パコは、ガーフィールドのようないわゆるオレンジキャットである。立川のアメリカ村に住んでいる時、あんまり可愛いので日本人と結婚した米軍の兵隊さんから譲ってもらったのだ。 裏の家で生まれたのだが、パコが来てからその兄弟、姉妹も家に居ついてしまっ…

散骨

泣きながら散骨した 紺碧の暖かい海だったキャップテンは 遺骨の一片を食べたそして今、私たちの仕事は「風」と言う 海洋自然葬(散骨)の会社をやっている

小笠原・兄島沖の散骨 1992年6月9日

私たちは泣いています「パコ」の遺骨を海に還した 私たちが海で死んだら、君と一緒になれる 天寿を全うしたら、ここに散骨する、と約束する

最高の飼い猫

グリに出会う前、私たちは通算百匹を越える猫を飼った 立川のデザイン事務所では、多いときには40匹を越えることもあった この猫の名前は「パコ」という この子とヨットで旅をしたかった 出発直前に天国へ旅立ってしまった。

日本のガラパゴス島

日本のガラパゴス島、小笠原列島・父島に着いたわけですが、この島独自の生態系保護のために、野良猫の対策が急がれている。 友人の奥さんの紹介で、島でただ一人の獣医(都の職員・写真中央)さん(なかなかのイケメン)と相談し、近い将来、避妊手術し家猫…

ボロン

指宿出港の朝、1992年6月1日、捨てられた子猫を発見 見送りの人たち、誰も飼ってくれないという 「じゃー、小笠原まで一緒に行こう」と妻、 蚤を取り、シャンプー、リンスして乗船を許す 友人の「ケンチャン」のヨットみたいに蚤だらけでは・・・ 6月…

鹿児島・平川港

修理、メンティナンスできることは、何でも自分で 桜島の噴煙・火山灰が作業の邪魔をする 直ぐそばに「浜の茶屋」という旨い飲み屋さん 作業のあと、毎晩通う

鹿児島・指宿の大7回指宿アロハ祭り

妻は動物好き。小笠原から沖縄を目指す途中、エンジン故障、換装するのに半年、鹿児島・平川港に滞在・・・夜な夜な天文館に出没・・・。1992年5月

我らが愛艇「Ondine」

ポンコツの中古艇を2年かかりで修理、シェークダウンし日本脱出、 太平洋戦争、最初の玉砕の島、アッツ島に寄りベーリング海をとうりアラスカへ向かう。「グリ」に出会うための冒険がはじまる。

私たちがグリの・・・・?

ついに始まりました。カナダ生まれのグレーの子猫と北米、中米を巡る旅です。

通称 「グリ」 1993年3月25日生まれ 本名 Mr.Canadian Grizzly Bear性別 オス・雑種 性格 グリーズリーベアーの様(乱暴もの)母猫 ヴァンクーバー在住の、シングルマザーヴァンクーバーの高級住宅地に住む旧知のヨットマンか…